えりいつ だいすき東海村 クローバー通信

恵利いつの村議会報告

平成25年6月議会質問内容

 1問目は、東海第二原発と地元立地地域の課題を国へ働きかけることについて質問いたします。
 原子力発電を専門事業としてきた日本原子力発電所株式会社が福島第一原発の事故後、非常に厳しい状況に置かれていることは周知のことです。また、敦賀原発2号炉の真下を活断層が通っていると判断されたことで、原電の浜田社長が規制委員会の調査チームの専門家たちに厳重抗議を送りつけたと報道されましたが、このなりふり構わないと見える対応からも、原電の置かれた立場がいかに危機的であるかを想像することはかたくありません。
 日本原電としては、一つでも再稼働にこぎつけることで、この危機的状況を脱したいのかもしれませんが、東海第二原発に対する私の考えは、これまでにも申し上げてきましたが、どんなに安全対策を行ったとしても、再稼働はすべきではないという立場です。
 理由の一つを挙げれば、30キロメートル圏内に94万人が住んでいて十分な避難計画を立てることが到底困難と考えるからです。
 とはいえ、原電は電力5社から基本料金をもらっていることもあり、株主である電力9社の盾とならざるを得ない苦しい立場であることも想像できます。それは、客観的に見て廃炉とせざるを得ないと考えたとしても、原電自らが廃炉とは言い出せない立場であるということです。
 私は、原電はこれまで蓄積した技術、特に安全管理のノウハウを生かして国内の原発をしっかりと管理する会社、そして廃炉を安全に進める会社となればよいと考えますが、そのように変わっていくにも、国のしっかりとしたバックアップが必要です。原子力発電のパイオニアとして国策を担ってきた日本原電が次のステップへ踏み出しやすくするためにも、また地元商工業者への影響緩和のためにも、東海村は率先して国と話し合いをする必要がある、それも早いほうがよいのではないかと私は考えます。
 3月議会において、私は原電と話し合うことが必要ではないかということを申し上げましたが、やはり原電の置かれた立場を考えると、国と話し合い、道筋をつけることが先という考えに至りました。改めて村長のお考えを伺います。
  • 村長
     恵利議員の今のご意見、全く私も同じ考え方を持っておりますが、東海第二発電所の再稼働につきましては、福島原発事故での政府の対応状況、そしてまた事故の反省も、まだ明確にされていないと。そして、そういう中でも従来の原子力政策に回帰しようとしている、その政府と電力業界の姿勢を見てみまして、そしてまた東海第二発電所特有の超人口過密地帯に立地しているというような異常な立地条件を見ますと、再稼働は我々村民あるいはまた周辺の住民100万人の命とふるさとを考えた場合は、断然再稼働はあってはならないと、私は思っております。
     しかし、私自身も、原電がこれまで真摯に原発のパイオニアとして東海村に果たしてきたこれまでの存在それ自体を否定してはいけないと思っております。原電が福島原発事故以後、原子力業界にあって新しい役割を果たすべきだと、これは私も唱えてきているところでございます。それは2011年10月の細野復興大臣に面談したときも、また2012年4月に細野経済産業大臣、また中川文部科学大臣等と面談したときにも、原電の新しい使命を担っての存続ということをお願いしてきております。
     その内容につきましては、一言では原電に国が関与して純国策会社として存続させるべきではないかと。そして、国中の全原発を原電に集約し、その中でその廃炉なり、あるいは原発を減らしていくという役割、そういうもの、そしてまた原発の技術の保持ということにつきましても担わせるべきではないかということを申してきております。
     この内容につきましては、村のホームページのほうにも細野大臣、そして枝野大臣に申した文書、差し上げた文書、それは載せているところでございますので、参照いただきたいと思います。
     しかし、この間、政権が再交代いたしまして、現自民党政権の原子力政策は一言で言えば全原発の再稼働の方向に向かっております。このことにつきまして、私は極めて無責任な話だというふうに思っておりますが、そのために国のほうのエネルギー政策あるいは原子力政策というものが全く混迷状態に陥っておりまして、その方向性が全く見えてきておりません。その中で、結局新しいスタートが切れていない。原電のあり方につきましても、その国のほうの原子力政策あるいはエネルギー政策というものが確定しないと、一つも見えてこないというふうな状況にございます。
     したがいまして、私といたしましては、政権によって明確な方向性をまず出すことが大事でありまして、その方向性が決まってくれば我々としましても、原電の役割ということを明確に言えるのかなと思っておりますし、規制委員会のほうからは敦賀の活断層の問題、あるいは40年規制ということもありますし、東海第二はどう見たって、その立地条件からいいまして、これは異常であると、そしてまた被災原発であるというような状況でございまして、それについても国と協定して私は明確な方針を出すべきであると思っております。
     また、その地域経済云々のことでございますが、これにつきましても当然ながら、そのような原子力政策あるいはエネルギー政策を出した上で、国としては新たな原発を抱えている自治体に対しての施策、そういうものを明確にすべきであるというふうに思っております。
     ところが、現時点におきましては脱原発の世論、これはけさの朝日新聞にも出ておりましたですが、やはり原発再稼働には反対だというのが国民の大多数の意見、過半数の意見でありますし、原発は減らすべきだという世論が日本には定着していると思っておりますが、それにもかかわらず、経団連等の重鎮であります電力会社の利益のみを考えて、今の政権は原発の再稼働に走っているという中では何も出てこないですね。
     原発立地の地域経済対策につきましては、東海村だけで考えるということは、しょせん無理でございます。原発にかわる何か持ってくることができますかと言われたら、なかなかそんなものは見つかるはずはありません。かつて石炭から石油へのエネルギー転換のときには産炭地振興臨時特別措置法というのをつくりまして、政府としまして、その地域対策あるいは地域振興政策というのを立てたわけでありますが、このようなことがさっぱり出てきておりません。
     各新聞にはそのようなことの社説や主張やそういうものが出ておるわけですが、政府自体において、それは政府というのは経済産業省になりますが、そういうところにおいては何も出てきていないというふうな状況でございます。そういうことから、今、東海村で言ったところで、果たしてどれだけの効果があるかというふうには思っております。
     まずは国が福島原発事故を前提として、起きたということを前提、いまだに16万人が路頭に迷っているといいますか、将来を見失って悲惨な状況にあるわけでありますが、そしてまた、いわゆる除染をして期間をというようなことを言っておりますが、その見通しも全くない。そういう状況の中でおると。もう2年数カ月たっているわけですが、何ら日本としての方向性が示されておりませんで、成長戦略の中に原発の再稼働、そしてまた原発の輸出というようなことを掲げていると、こういうばかげた政権の中で私が東海村として言って、果たしてどれだけの効果があるかというのは、私は非常に今のところ残念ながら疑問に思っているわけでございます。
     しかし、私は恵利議員が言われたように、やはり原電はどうするのかということにつきましては、これからも折に触れ言っていきたいと思いますし、その点は県選出の国会議員等にもお話をしていきたいと思っております。
     以上でございます。
 本当に国が混迷しているという状況で、東海村にある日本原子力発電所の方たちも、自分たちはどうなるのだろうという不安もお持ちかと思います。これまでにも2度ほど行かれたというのは、ホームページのほうで私も村長が提案された内容も見させていただきました。しっかりといろいろな問題提起、働きかけをしていただいたんだなと思います。今後そういう今のような状況ではありますが、国へ行かれるときには、私たち議員、全議員なのか有志になるのかわかりませんが、私たち議員も一緒になって国に働きかけ、訴えに行きたいと思いますけれども、応援は要らないでしょうか。
  • 村長
     非常にありがたい、心強いお言葉をいただきました。議員も一緒に行きたいということでありました。一緒にまた検討して、ぜひ実現していきたいというふうに思っております。よろしくお願いたいと思います。
 じゃ、そのときはお声かけください。私たちも村のことをしっかりと取り組んでいきたいと思っております。
 2問目に移ります。
 J-PARCにおける事故を含め、今後の村の原子力対策について質問いたします。
 5月23日に発生し、通報までに1日半を要したJ-PARCハドロン実験施設における放射性物質漏えい事故は、私にとって驚きであり、まさに想定外でした。と申しますのは、以前に仕事をしていた原子力科学館において、J-PARCがどんなに大きな可能性を秘めた研究施設であるか、ノーベル賞ものの成果を生むかもしれないと、本当に熱い思いで説明をしていた経験があるからです。
 ウランの核分裂を利用する原子力発電の原理と違って、J-PARCは加速器なので電気のスイッチ一つで安全に停止ができると言っていました。今回のように放射性物質が換気扇からそのまま出るなど夢にも思っていませんでした。報道で事故を知り、本当に驚きました。
 そして、事故後の対応が報道されるたびに驚きの連続です。一般的に言って、実験に失敗はつきものです。しかし、原子力施設です。換気扇を回し、放射性物質を外に出すなど言語道断です。放射性物質を扱う心構えがあるのかと、素人の私ですら思います。
 また、換気扇を回すと、そのまま外に漏れる建物構造だったことにも驚きました。原発における安全対策とはレベルは違っていても、漏らさないという基本、安全文化が研究所ゆえに欠けていたのかと思いました。
 1999年のジェー・シー・オーの事故のときにも、「なぜそんなところで臨界が」と、余りにも意外なことなので、にわかに信じることができずにいました。そのときから、私は原子力を正しく怖がる、そのために少し原子力を学ぶようになりました。今回の事故も、「なぜJ-PARCでそんな事故が」と、私にとってはジェー・シー・オーのときと同じです。建物の構造からして、原子力機構も高エネ研も、そして認可した国も、そのレベルだったのかと疑ってしまいます。意外な施設から人的ミスで放射性物質の漏えいが起きた。住民として、このようなことはもうこりごりです。
 2点質問いたします。
 私たち議員は、7日の全員協議会において事業所からの説明を受けました。しかし、住民の方々は報道からの情報のみです。
 そこで、質問の1点目は、J-PARC事故について現時点で村が把握していることをお聞かせください。
 2点目は、原子力における想定外は地域住民に大きな不安や被害をもたらします。原子力機構や日本原電はじめ他の研究施設、燃料加工会社など原子力に関する事業所が多く立地する東海村ですが、何より住民の安全を第一に考えなければなりません。安全協定は各事業所と結ばれているのでしょうが、想定外のことが起きるところに弱さがあります。各事業所における想定外をいかになくすかも課題の一つと考えます。村の今後の原子力対策について伺います。
 以上2点、1回目の質問といたします。
  • 経済環境部長
     お答えいたします。
     J-PARCの事故につきましては、先日の議会全員協議会でも説明を受けたところでございます。事故は5月23日の午前11時55分ごろに発生しておりますけれども、ご指摘のように村のほうには翌日の午後9時40分頃に電話で連絡がありまして、村ではそれからの対応ということになっております。その後、25日の午後1時から茨城県をはじめ、周辺の市町村とともに現地の立ち入り調査を行ったところでございます。
     J-PARCのほうでは事故に関する住民の説明会を今月13日、14日、15日、この3日間実施するということでございます。既に村のホームページのほうでは掲載しておりますが、屋外放送でもお知らせすることにしております。村のほうからは厳重注意の文章を発出しておりますことから、徹底した安全管理体制の構築に取り組んでいただけるものと考えております。
     J-PARCという施設でございますが、日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構という2つの組織で運営しております。このことから、安全管理体制の意識が統一されておらず、今回の事故はそのようなことも一因だったのではないかと捉えております。J-PARCからは事故原因等の詳細について後日報告がありますので、その中でしっかりと確認してまいりたいと考えております。
     今月には原子力規制委員会から発電所の新安全基準が示されます。これには地震や津波の評価の見直しやシビアアクシデント対策、バックフィットなど安全に向けた多くの対策が組み込まれてまいります。さらに、年内にはそれ以外の原子力関連施設に対する安全基準も見直されることとなっております。こうした規制委員会の新たな基準に基づく安全対策を含めまして、これまで以上に村内事業所の安全対策について確認を行っていく必要があると考えております。
     以上でございます。
 ぜひしっかりと確認、それとご指導よろしくお願いいたします。
 質問のときに、きつい表現をしたかもしれませんけれども、それだけJ-PARCに期待しているということは関係者にもわかっていただきたいと思います。
 最近報道されるいろいろなことから、原子力への期待や信頼が原子力の本丸から崩れている感がありますが、TOKAI原子力サイエンスタウン構想の重要性は再確認されたと私は考えます。そして、サイエンスタウン構想を実のある形で実現していくためにも、今後、各事業所は今回の事故を人ごととすることなく、安全対策にしっかりと生かしていただきたいと思います。
 再質問は副村長にお尋ねいたします。
 3・11以降、原電問題は地域の大きな問題であります。東海村の住民に限らず、東海村を取り巻く隣接地域の方々も今後の動向に関心を持っています。議会の原子力問題調査特別委員会でも、1年以上議論をしています。また、村上村長のお考えは、議会においてもメディアや後援会等においても何度となく伺ってきました。今回は、副村長の原発に対する率直なお考え、特に東海第二原発に対する問題や地域の課題についてどのようにお考えかを伺います。
  • 副村長
     お答えいたします。
     原子力発電所につきましては、国の規制委員会が新たな規制基準を策定しまして、準備が整った発電所から順次審査が行われていくことになるということで認識しております。
     東海第二発電所の今後については大変不透明でありますが、日本原子力発電株式会社におきましては、安全対策への検討が進められている状況ですので、ここは国としても原発にかかわる政策を早急に決定すべきものだというふうに考えております。
     また、地域としましては現状をよく分析しながら、特定の事業所や大きな産業に大きく依存することのないようなまちづくりが理想でありますので、そのために必要な取り組みは行ってまいりたいと考えております。
     以上です。
 地域のことについては、まちが疲弊していくことのないように取り組みをしていたただけるということでしたけれども、東海第二の原発の再稼働とかというところについて、もう少し詳しくお尋ねできたらなと思いますけれども、いかがでしょうか。副村長のお考えのところがもうちょっと見えるといいのかなと思うんですけれども、お聞かせください。
  • 副村長
     お答えします。
     今の現状で考えますところ、また今の新しい規制基準を考えたところ、かなりハードルは高いものと思っていますので、その中で村としてどのような対応ができるのか。きちんと日本原子力発電株式会社とも対話ができるような形で、この問題については取り組んでいきたいと思います。
     以上です。
 もう少し具体的なお答えも欲しかったところですけれども、次の質問に入りたいと思います。
 3問目は、TOKAI原子力サイエンスタウン構想についてです。
 TOKAI原子力サイエンスタウン構想を進める中で、原子力の文化的価値や社会的価値を高めていくことは、東海村の持続可能なまちづくりになくてはならない重要なポイントであります。目指す方向の中に、原子力に対する深い思考力、洞察力や謙虚さを有する人材育成、安全文化の醸成などとあります。まさにJ-PARCの事故を受けて、その重要性を再認識した次第です。
 一方、原発に依存しない社会の実現のためには、経済的価値を求めていくことも必要と考えます。研究施設、研究機関の充実にとどめることなく、つまり245号線から海側の限られた政策にならないように、地域に根差したものとするために研究で得られた成果を地域の活性に結びつける必要があるという視点から質問をさせていただきます。
 例えば浸潤型脳腫瘍に治療効果が高いとされるBNCTを例に挙げますと、治療装置の小型化を検討・実証するための研究施設で終わるのではなく、その技術を地域の一つの売りとし、関連する技術を集め、幅のある技術の集積地とするのです。そのためには国内でも有数の放射線医療センターを東海村に誘致する、そこまで視野に入れた戦略的な取り組みがあってもよいと考えます。
 BNCTのほかにも、リニアックや粒子線治療など患者への負担の少ない放射線治療装置に加え、PETやCTなどを含む画像診断装置を備えた放射線医療センターの誘致は、東海村ならではのメリットを生かす積極的な取り組みになると考えます。そこまで進めることで東海村の魅力が1つ増えます。
 放射線医療センターを東海村につくることについては、八、九年前になると思いますが、女性議会に立たせていただいた機会にも提案させていただきました。そのときの答弁では、前向きなお返事はいただけませんでした。そういう経緯もありますけれども、放射線医療センターをという一例を挙げてお話ししましたが、質問は、多方面の研究の中から地元企業の活性化につなぐ、もしくは関連する企業を村外から誘致し、地元に取り込み、地元の産業にする、そのようなことについて考えているのか、または既に動いているのかを伺います。
  • 総合政策部長
     文部科学省のホームページに、科学技術自体や研究者等の活動が国民に正しく理解され、支持されることが不可欠、研究者等自らが社会の一員であるという認識を持って国民と対話しながら信頼を醸成していくというアウトリーチ活動を積極的に推進していく必要性があると記載されております。研究で得られた成果が地域の活性化に結びつくことは、大変よいことだと考えております。
     しかし、過日のJ-PARCにおける放射性物質の漏えい事故は、昨年12月に策定しましたTOKAI原子力サイエンスタウン構想の中核とした施設で起こった事故ということで、まことに残念に思っております。
     一方で、ご質問のBNCT、ホウ素中性子捕捉療法でありますが、現在NTT跡地に茨城県が整備しておりますいばらき中性子医療研究センター内に機器の設置が進められております。予定では来年には治療装置が完成し、再来年には臨床試験が開始されると伺っておりますので、ここ東海村において、新たなプロジェクトが間もなくスタートすることに期待しているところであります。ここで得られた成果が私たちの医療に生かされ、東海村でがんが治るとなれば、すばらしい情報発信になると考えております。
     また、ご質問にありました地域に根差した産業となるよう、このような新技術、新製品の開発に際し、組織の枠組みを超え、広く知識・技術の結集を図ることができ、例えば産学官連携プロジェクトや異業種交流プロジェクトあるいは大企業とベンチャー企業による共同研究などができるような場として、必要があれば隣接する村有地を積極的に提供していきたいと考えております。
     さらに、このような新たな文化的価値、知的財産を生かした人材育成などに村としても寄与していきたいと考えておりまして、TOKAI原子力サイエンスタウン構想実現化につながるものでもあります。
     以上でございます。
 BNCTは全てのがんに治療効果があるわけではないと思いますので、特に先ほど申し上げました浸潤型脳腫瘍とか、そういうところには本当にすばらしい治療方法だと思いますけれども、やはりそれだけだと東海村に行けばがんが治るとはなりませんので、いろいろな治療方法、エックス線使ったり粒子線、重粒子とか陽子線ありますので、そういうものを使う。もっと多角的な医療センターというか、そういうものまで目指されたほうがいいと思います。それで「東海村に行けば」という冠がつくのかと思います。
 TOKAI原子力サイエンスタウン構想の理念に第2ステージ、原子力と地域社会の新しい共存関係とあります。即効的な経済効果を求めるものではないにしろ、地域の産業を新たに生み出す、そこまで持っていくことがこの構想の目指す一つと考えます。
 原子力が誘致されて57年になろうとしていますが、これまでのように「原子力マネーが地域を支える」から「地元産業が財政を生み出す」まちづくりを目指すときと考えます。地元で働きたい若者が地元で働ける状況、そういう環境をつくり出すために、隣接するまちも交えて、おくれをとることのない積極的な行政の取り組みを期待して次の質問に移ります。
 4問目に入ります。
 再生可能エネルギーの普及拡大として、集会所等に太陽光システムの導入をということで質問させていただきます。
 緑ケ丘地区では自治会独自の防災対策の一つとして、集会所の屋根に太陽光発電システムを導入したと知り、5月初めに自治会の役員さんにお話を伺ってきました。企画立案から住民の合意を得るためのアンケートや説明会の開催など、設置までのご苦労話やちょっといい話、感動秘話などを伺うことができました。
 この取り組みは、高齢化が進む団地において災害に強い地域を目指していることを見ても、また企画から設置・運営まで自治会役員をはじめとする有志の協力で成し得たことを見ても、まさに住民自治の取り組みであります。これまで村上村長が進めてこられた「住民が主人公である住民自治のまちづくり」の一つの成果と考えます。この取り組みはすばらしい先進事例になるであろうと、説明を受けながら私は感動を覚えました。今後、他の自治会でも取り組むところが出てくるのではないかと考えております。
 このような取り組みは地域防災の強化、またエコオフィスプランに加え、村内に再生可能エネルギーの普及やエコの開発を進めている村の目指す方向とも合っています。この取り組みをどのように評価するか、また今後、他の自治会が取り組もうとするときに村としてどのような支援ができるのか伺います。
  • 経済環境部長
     お答えいたします。
     今回の緑ケ丘自治会によります集会所の太陽光発電システムの設置でございますが、東日本大震災の教訓を生かした取り組みであるとともに、住民自治の一つのあり方であろうというふうに考えております。
     取り組みの中では、ご指摘のように住民の声を十分反映し、企画立案から実現するための手段の検討、それから設置運用に至る一連の過程が一貫して主体的に行われてまいりました。これは一つのモデルケースとして、ほかの地域への波及効果は大きなものがあると考えております。
     今後、自治会における太陽光発電システムを活用した取り組みが活性化することも想定されるところであります。村といたしましては、民間企業やNPOなどによるエネルギーファンドの創設などの先進事例もございますので、地域における太陽光発電システムの円滑な設置に資するための情報提供に努めてまいりたいと考えております。
     以上でございます。
 ぜひ十分な情報提供よろしくお願いします。
 聞くところによると、感心を持ってこれらた自治会もあるということですので、今後問い合わせもあるのかなと思いますので、よろしくお願いいたします。
 緑ケ丘の役員さんに伺ったお話によりますと、設置資金をどのように用意するかが一番の問題であったと伺いました。お金は現実的な問題です。だからといって、私は即補助金でもって支援するようにと言っているのではありません。それをやってしまうと、住民自治の萌芽をつむことになりかねません。3・11を経験し、地域に芽生えた自らの防災意識と環境意識をどのように後押しするか、いかに育むかが今後行政に求められることかと思います。
 そこで、副村長にお尋ねします。
 緑ケ丘団地の自治会主催の説明会に副村長も同席されたと聞きました。副村長のご感想など、それと今後どういう取り組みができるか、お考えがございましたらお聞かせください。
  • 副村長
     お答えします。
     今、恵利議員のほうからお話がありましたように、当時の鎌田自治会長さんのほうから集会所の屋根にソーラーつけたいという話がありまして、私自身、今、役場のほうで屋根貸しを始めていますけれども、公共施設はある程度限られていますので、集会所につけられないかなというのは個人的にもちょうど思っていましたので、ただ集会所は基本的に自治会の持ち物ですので、役場が積極的に誘導するのもどうかなと思っていましたところ、鎌田会長さんのほうから、そういうお話がありまして、これはすばらしいアイデアだということで、住民への説明会のときに同席させていただきまして、村としても再生可能エネルギーの利用促進の中で特に太陽光については積極的に推進するということをお話しして、住民の方のご理解をいただきました。
     また、一方で屋根貸し事業におきましては、村内の商工業者7社が出資して東海メガソーラー株式会社というのもできまして、本当は今タイミングとして住民の意識の盛り上がりと、あと事業者もそういう形で参画しようというような動きがありますので、この動きをぜひもっと大きな形にしたいと思っていますので、私も先週、環境自治体会議のほうのいろいろな会議に出ていまして、市民ファンドかなり取り組みが活発化されていますので、そういうところを研究しながら、もうちょっと幅広くこの太陽光発電の導入については積極的にやっていきたいというふうに思っています。
     以上です。
 副村長ありがとうございました。ぜひ住民のそばにいて、いろいろなご支援よろしくお願いいたします。
 では、5問目に移ります。
 村上村政4期目、最後の議会、TOKAI原子力サイエンスタウン構想等に対する思いを含めて質問いたします。
 村上村政4期目としては、6月議会が最後の議会になります。この4年間は、歴代の村長が経験したことのない難題が次々ともたらされました。3・11大震災の対応、その後の村内各地の復旧、同時に東海第二原発問題、また福島第一原発からの放射能汚染対策、先月起きたJ-PARCの放射能漏えい事故など、思い出すだけでも疲れが出てしまうほど大変な出来事の連続です。
 そのような中、村上村長は原子力業界、原子力村に対し、勇気ある毅然とした政治姿勢で問題提起や提案をしてこられました。その根本にあるのは、住民の命を守る、ふるさとを守るという首長としての使命感からでしょう。その信念ある行動は、村内外を問わず全国に支持を広げました。私たち光風会議員も、もちろんその一人です。
 また、環境政策を4本柱の一つに挙げ、平成13年度から継続して取り組んできた住宅用太陽光発電システム設置補助事業も、高く評価されている政策の一つです。導入当初、原発立地自治体において太陽光発電に補助金を出すことに異論も聞こえたと伺っておりますが、そういう中においても進められた。国においては補助金事業そのものを数年で取りやめる中、時代に即した取り組みとして継続してきたことは、3・11大震災の経験により、改めて評価されることの一つと考えます。
 第5次総合計画やTOKAI原子力サイエンスタウン構想など、これからの東海村の方向性を決める大きな政策もまとめられました。東海村第2ステージの花形施設であるJ-PARCの事故、それに続く理解しがたい機構の対応は、サイエンスタウン構想を進める中で非常に遺憾であり、残念な出来事ではありますが、この事故を機に機構内部の対策はもちろんしっかりやっていただかなくてはなりませんが、我々住民はJ-PARCの成果を期待するだけではなく、もっと注意を傾けるなど仕切り直しが必要と私は考えました。
 改めて16年間を振り返ると、原子力発祥の地の首長ならではの矜持とご苦労が交錯していたのではないでしょうか。動燃火災・爆発事故の後処理に始まり、ジェー・シー・オー事故が起きた1期目、そして2期目、3期目も、それぞれにご苦労は絶えなかったでしょう。4期目としては、最後の議会です。この4年間を振り返り、またこれからの村の未来像について村上村長のお考えをじっくりと伺いたいと思います。
  • 村長
     じっくりとですか。私は1997年に、平成9年ですね、村長になりました。そのときには動燃の火災・爆発事故が起きておりました。半年前にすね、これも3・11でしたですね、起きておりました。そういうことから、東海村の村長になるということは大変なことだなというふうには、その当時も思っておりました。
     一方では、地方分権時代ということが到来するというような社会状況にありまして、私の第1期目の村長での目標として掲げたのは、この2点でありまして、地方分権時代が来るということでの地方自治組織体制をどうやって整えていくか、そういう人材をどういうふうに育てていこうかということでありましたし、1つは原子力というものは無条件に安全ということはないなと。それに対しての東海村は、まさに原子力のまちということでありましたので、その安全対策というものが重要だということで、村長になって直ちに原子力対策課というものを創設したわけであります。
     そういう中でありましたですが、一方、当時まさに失われた10年というようなことが既に始まっておりました。いわゆる景気対策、景気対策、経済、経済というようなことで、公共事業投資を中心として経済の再生をというようなことも既にやっておりました。公共事業ですから、このやり方は多分、日本は借金大国になって失敗するなというふうに私は思っておりました。そういうことから、私は村長になるときには、いわゆる開発・発展というものは、もう過去のものであると。開発・発展ということよりは、人そのものへの投資をしていこうじゃないかというふうに思っておりました。そういう点では福祉だとか教育だとかということを中心として思い切った財政運用をしていこうというようなことは考えておりました。
     当時、もう既に財調資金のほうも底をつくような状態でございましたですが、その後に東京電力の火力発電所が完成するということが今から10年前でありましたが、そういうことを見越して福祉、教育という方面に投資してきたわけであります。
     そして一方で、やたら公共事業をやろうということではなくて、これから日本国全体が借金づけになると。そして、地方自治体には金が回ってこなくなるということも考えておりましたので、東海村としましては生き残る戦術として、東京電力から入ってくる固定資産税、それをいわゆる東海村のゆうゆう資金、財政調整基金というような形での積み立てをしていこうというふうにはずっと考えておりました。その間に自立できる道をということを考えてきたわけでありますが、まさにそのジェー・シー・オーのまさに動燃の火災・爆発事故の後の対応と、それから再処理工場の再稼働というようなことが問題でありましたが、その渦中においてジェー・シー・オーの臨界事故が起こりました。そして、一方では原電のほうから3号機、4号機をつくりたというような話もございました。
     その中で、非常に厳しい村長選挙戦を戦わざるを得なかったというようなことがございますが、十分に原子力安全対策ということについて、村のほうから十分な発言力を持って対応できたかというと、じくじたる思いはありますが、その中で結局、福島原発事故は起きたということで、これは私は決定的なことが起きたと思っております。
     先ほども申しましたですが、福島県は20キロ圏内に8万人ぐらいですよ、福島第一原発は。30キロ圏でも8万人から10万人弱ですよ。ここは10キロ圏内で、もう既に75万人ぐらいいると。30キロ圏内になると100万人もいるというような、こういうような異常立地ということが、改めて私はこの政府のまさに目先のことを考えての原発推進という、こういう国では原発は持つ資格はないと。原発を持つ能力はないというふうに私は思っているところではございますが、今回のJ-PARCでの被ばく事故、あるいは放射性物質の漏えい事故といいますか、外部にそれを出したというようなこと、まことに初歩的な事故でありまして、全く驚く事故でございますが、結局私はJAEAというものの体質があるのかなと思っております。日本原子力研究開発機構、これはいわゆる今、旧原子力研究所と、それから旧サイクル機構と、これが合体してできたわけでありますが、組織体制ができてないだろうと。それから、意識の共有というようなものができてないなというようなことを感じております。
     さらに、高エネ研が共同でということですので、高エネ研は高エネ研で、まさに基礎物理学をやってきているということでありまして、そういうところのいわゆる組織間の意思疎通といいますか、文化の違いというふうなことがJ-PARCで起きたと思っております。
     ただ、J-PARCの事故と、私は原子力、今エネルギーですね、原子力エネルギー分野とは全然違う事故だと思っております。ここは本質的に違うと思っております。核分裂をさせてエネルギーを取り出す、核分裂をさせることによって膨大な放射能を出す。それで、その放射性廃棄物を膨大につくってくるのが私は核分裂をする技術だと思うんですが、J-PARCの場合はまさにそういうことではなくてということでありまして、J-PARCの事故が、東海村の今回の事故が、私は東海村の将来に差しさわりがあるというふうには思っておりません。その点では今回の事故を契機に、基本的なところの体制整備、組織体制ですね、それから意識の醸成と、そういうことをきっちりやってもらいたいというふうに思っております。
     J-PARCから何が出ますかということですが、先ほど放射線総合医療センターみたいなものを東海村に誘致しようというご提案ございましたです。まさにそういうことは非常にこれからやるべき課題だと思っております。その点につきましては、TOKAI原子力サイエンスタウン構想の中でも推進委員会をつくってやっていくということでございますので、具体的なそういう課題というものを一つ一つきっちりと立てていただきまして、これは当然ながら東海村だけでできる話ではございません。茨城県、そしてまた国と、そういうしかるべき機関と話し合っていく能力がこれから必要であると。
     我々がプランを立てる能力、そしてまたそういう茨城県、そして国と共同してやっていくというそういう体制づくりが東海村にとっては必要だと。それが私はいわゆる原発を誘致してすぐ金が入ってくるというものではなくて、我々自身の能力を高めないとできないというのがTOKAI原子力サイエンスタウン構想でありまして、そのためには私は性急に経済的効果を村民が求めるということではなくて、そういう力を村民の皆さん方と、それから役場の職員の能力を上げていくという、これが私は文化的な価値、社会的な価値というふうになっていくんだろうと思っておりますが、大変今までの即成果主義という日本の社会の経済、経済という、それだけを目指して即成果を出すというようなものからの意識の転換ということになりますので、大変わかりづらいとは思うんですが、私はこの点は、いずれ我々はそういう社会に、日本国全体がですよ、なっていくだろうと思っていますので、その先陣を東海村が切っていく、これが私は東海村が原子力と歩んできた長い歴史の最終的な目標点になっていくんじゃないのかなというふうには思っております。
     以上です。

 ありがとうございます。
 TOKAI原子力サイエンスタウン構想、まさに村長がおっしゃるように、これからの東海村のあり方、東海村が今後どのようなまちになっていくかというその大きな基本となるところと私も考えます。今回の事故、本当に残念ではありますが、村長もおっしゃったようにこの事故を一つの基本を見直す転換点として、もう一度仕切り直し、原子力に対して東海村からいろいろな発信ができる、そういう形が今後、構想の中で高められていけばいいかなと思っております。
 それで、3月議会において、9月の村長選については、しかるべき時期に態度を表明したいと村長はおっしゃっていましたが、その時期については村長が判断されることと私は考えております。私たち光風会は、村長の判断と決断を尊重したいと思います。それを述べまして、質問を終わります。